まちづくりNPO ラピュタ創造研究所
東大で武生(たけふ)を見つける !
東大に行く機会があり、行ってきました初めての東大。わーい!

右の写真は有名な安田講堂です。この下にある生協の学食で昼食を、しっかりいただいてまいりました。 で、味がくどい!!(あ、"くどい"は、福井弁で"しょっぱい"の意味に近いです。) 学食以外に、構内の飲食店やコンビニ等をチェックした結果、東大生の食事情は、あまりよろしくないなぁ、となりました。

団塊の世代の方にとっては、安田講堂といえば、1960年代後半、第二次反安保闘争、学園紛争を即思い出されるのでしょう。 今は、今時のおしゃれな学生さんたちの憩いの場、昼食の場、私のようなおのぼりさんのカメラの対象にとなっているのでした。
加賀藩主前田家上屋敷の御守殿門で、国の重文でもある赤門でパチリ。

観光地と化していました。
三四郎池です。
1615年の大阪夏の陣の後、加賀藩前田家が幕府から現在の東京大学の敷地を賜っりました。1626年、前田家3代
利常の時に、徳川3代将軍家光訪問の内命を受け、殿舎、庭園の造園にかかり完成までに3年を要したそうです。このとき完成した庭園が育徳園と呼ばれ、池を心字池といいました。夏目漱石の名作『三四郎』は、ここを舞台としたため、「三四郎池」と呼ばれるようになりました。

前田利常の父はもちろん前田利家、母は側室の寿福院で、何を隠そう(いえいえ、隠してませんが)武生の女性なのです。東大で「武生」見っけ!利家が初めて大名になったのは、武生。今の越前市役所(旧武生市役所)がお城の跡です。この時代に、まつの侍女である千代の方との間に生まれた子供が猿千代、のちの加賀藩主前田利常なのです。

東大を後にして、やっぱ一度は行かなきゃ「表参道ヒルズ」。事前に安藤忠雄のコンセプトをしっかりと頭に入れて、行ってきました。

同潤会アパートの風情は、隅っこにやっとこさ再現されていた。住民の方との長期にわたる話し合いがあったとか。郷愁だけでは生きていけない。

でも、おのぼりさんの田舎もんには、都会の中のオアシスのように、木々に囲まれた古びたアパートが現存していることがとってもうれしかった。きしきしといわせながら階段をあがって、小さな店内に入るときのわくわく感がたまらなかったなぁ。。。

新しい時代の表参道ヒルズには、なにげなく疎水が流れている。今までになかった水の流れに、住民の方と建築家の想いを感じました。